タクシーに乗り 建仁寺に向かいました
運転手さんに
「短い距離でスミマセン」と言うと
「ここらのお客さんは みんなそうだよ」 だそうです (^^)
それにしても
慣れているとは言え 細い路地 人混みの中を
クラクション一つ鳴らさず 平気で進んで行くのは
「見事です」
京都最古の禅寺 建仁寺
本坊
詳しくはこちら
本坊から入り靴を脱いで 寺内へ
大雄苑
照雲
「喝」
舟出 オールを漕いで遡(さかのぼ)る 2014年 襖
法堂へ 移動して
双龍図
この天井画「双龍図」は平成十四年(2002)建仁寺創建800年を記念して
大きさは 縦 11.4m 横 15.7m (畳108枚分)
麻紙(まし)と呼ばれる丈夫な和紙に
「程君坊」(ていくんぼう)の墨を使用して描かれいる
制作は 北海道 河西群中札内村の 廃校になった小学校の体育館を
使って行われ 構想から約2年の歳月をかけて 平成十三年十月完成
翌年 平成十四年四月十四日 建仁寺山内の僧衆によって
開眼法要が厳修された
龍は仏法を守護する存在として 禅宗寺院の法堂の天井に しばしば
描かれてきた
また「水を司る神」ともいわれ 僧に仏法雨を降らせると共に
建物を火災から護るちいう意味が こめられている
しかし 建仁寺の八百年の歴史の中で 法堂の天井に龍が描かれた
記録は無く この「双龍図」は創建以来 初めての天井画である
通常の雲龍図は 大宇宙を表す円相の中に 龍が一匹だけ描かれる
事が多いが
この「双龍図」は 阿吽の龍が天井一杯に 絡み合う構図が用いられている
そして二匹の龍が共に協力し仏法を守る姿が水墨世界観で
表現されている
「風神雷神図屏風」「建仁寺方丈障壁画」雲龍図などは高精細複製品で
オリジナルは
貴重な文化財を消失させてはならない理由で京都国立博物観に寄託されています
オリジナルと何ら変わらず 貴重な文化財を
間近にじっくりと拝観でき 有り難く思います
建仁寺では撮影もOKなので 沢山撮りまくり
大満足で 後にしました
花見小路を散策しながら
三条で地下鉄に乗り換え 京都市役所前から
幾松へ向かいました
上木屋町 料亭 幾松
今回 京都旅行を 計画して最初に宿泊場所として決めたのが
幾松です
幾松は
桂小五郎(木戸孝允)と三本木の芸妓幾松(のちの松子夫人)の木屋町寓居跡
現在でも 「抜け穴」「飛び穴」「のぞき穴」「つり天井」など
当時に近い状態で保存されているそうです
当時は 不意の敵にそなえて
幾松の間の天井には大きな石が仕掛けられていたという事です
木屋町通に面した 風靡な門
石畳を奥へ
チェクインして 本館へ
案内された お部屋
部屋から 下を見ると池に鯉
吉田茂?
暫し休憩 した後
夕食まで少し付近を散策
幾松を出て 高瀬川の対岸に位置します
高瀬川 江戸時代 京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河
少し歩くと 京都ホテルオークラ です
幾松の部屋に戻ると
賄い(まかない)の お兄さん(妻いわく ジャニーズ系 好青年)が
下で「幕末幾松のお話を聞かれませんか」
即答 「行きます!」
部屋から見えた 鯉が泳ぐ池の横を通り 奥へ
案内された部屋が 何と「幾松の間」でした
観れると思ってなかったので それだけで 「感激」でした
お話は その当時の鴨川の事を中心に その鴨川を背にした立地から
当屋敷以外にも 名も知れぬ者が潜伏する屋敷が 点在していた事など
興味深い話を聞かせて頂きました
「幾松の間」からの 鴨川
楽しい時間を過し
最後に長持ち の前で 記念撮影を撮ってもらい部屋に戻り 食事です
先付と八寸
後のメニューは食べるのに夢中で 撮影忘れました (^_^;)
食事をしながら 賄い(まかない)の お兄さんに
気になってた 掛け軸の事を 尋ねてみました
やはり
「幾松を愛用して居られた」と聞いていますとの事
後日調べると 素准(そわい)と言う 号は
イニシャル S(そ)Y(わい)をあてたものと言う事です
この後 お兄さんと 話が弾み 福岡から来たことを告げると
「僕も 九州 鹿児島 なんです」
「京都が好きで 京都の大学を選んで 来ました」
「大学生? バイトなの?」
「ハイ」
「 京都府立医科大学に行ってます」 だそうです
京都が好きで 京都の大学を しかも 医大選んで来る
若い人が いるんだな と
感心 嬉しく感じました
爽やかで感じが良い青年で 良い出会いになりました
食事を美味しく頂いた後 お風呂を いただきました
熱めのお湯に ゆっくり浸かり 疲れを癒す事が出来ました
部屋に戻り くつろぐも
二日間 歩きに歩いて 疲労困憊
すぐに 布団に入りました
道からも 奥まった場所で 静かな中
あっという間 に 熟睡
あっという間 に 朝 でした
いよいよ 最終三日目です
次回 掲載します
閲覧有難う御座いました
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